
カスタマーレビュー
もう小賢しいだけのエッセイ集の時代じゃないんだよ
これでは、単なる「口さがないオバハン」の駄文集。もう80年代じゃない。きちんとした責任感のある骨太な大人の発言が求められる時代に、Blogあたりにふさわしいような駄文など、なぜ活字にして出版する価値があるのか?
編集者や出版社の見識があまり低いと言うことだろう。読む価値なし。時間の無駄。
もうちょっと勉強して頂きたい。
著者の「シュレディンガーの猫」に関する理解は全く間違っています。
科学書ではないとはいえ、著書のタイトルにするくらいなら、もうちょっと勉強して欲しい。
この本により、シュレディンガーの猫について間違った知識を得てしまう人が、僅かでもいるはずなのだから。
健全なばかりでは、疲れてしまう。
この本を読んで、私が「男流文学論」を読んで以来感じてきた小倉氏に対する
嫌悪感が、はっきりした。どこが許せないのかと言うと「モノを創ること」
「モノを創る人」に対するリスペクトが少なすぎることである。小倉氏はこの本の
中村うさぎ論のところで「病人文学」という言葉を使っている。書くより先に
病気を治せという趣旨のことを言っている。私は仮に「病人文学」というものが
あるのなら、私はなんとしてでもこの小倉氏の暴言から「病人文学」を守りたいと
思った。今の世の中、誰もが健全、健康なわけがない。どこか心身を病む者が
出てくるのは当たり前だ。そういう人に対して、しばしば思いやりのない言葉を
吐く「健康な人」の何と多いことか。それは病状を悪化させる。その日常の
中で、病を和らげ、生きていくために小説や詩や絵や音楽を創り出すのだ。
それは日常に疲れた時、しばしば明るく健康的な作品よりも心を癒され、
共感できる人も少なくないはずだ。私だって、こうした作品をいくつも愛してきた。
太陽を直接見つめていれば目がつぶれるように、世界が明るいものばかりでは
精神がつぶれてしまう。小倉氏と違って自然はちゃんとそのことがわかっている。
1日の中で必ずやってくる「夜」と、人間の中に必ずある「闇」を私は大切に
したい。
玉石混淆、総じて石かな…読むなとまでは言わないが
帯に「小倉千加子、16年ぶりのエッセイ集!」と謳う通り、1990年1月から2005年5月の期間に発表された短い文章をまとめた内容。現・皇太子妃や林真理子を論じた、やや長めの文章など、「さすがは『結婚の条件』の著者!」と感じさせる冴えを見せるものもあるが、率直に言って玉石混淆。
ちょっと疑問なのが、2番目に収録されている「豊かなジェンダー社会を」という3ページ足らずのの短文。これは性差についての固定観念を批判する内容で、その主張そのものにはそんなに異論はない。しかしここまでストレートに構築主義的立場を取ったり、フロイトやユングを根拠に「すべての人間は両性具有」と主張する議論を読むと、ちょっと古臭い感じがした。で、よほど以前に書かれたものかと思ったら、何と2005年1月初出。
わずかの紙数中にカッコつきの「もてない男」という表現が2度も出てくるから、小谷野敦からの小倉批判は意識しているようだが、それにしてはお粗末な内容だと思う。いまどき100%の生物学的決定論を仮想敵に設定するような議論は空論と言わざるを得ないし、奈良県での女児殺害事件の犯人をめぐる分析も、相当に強引な印象を受けた。
この著者にはかなり硬直した部分もある様子なので、そういう視点から、あのムチャクチャ楽しめる傑作『結婚の条件』の弱点について再考してみるのもいいかな、と考えているところです。
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