坊っちゃん (岩波文庫)
岩波書店
文庫
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オススメ度:
Book (1989-05)
価格:¥ 378(税込)
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カスタマーレビュー
清かわいいよ清
これは小学生の時に読んだ時の感想である「痛快青春活劇」ではかった。
また作者が意図したであろう明治維新による近代化を誘った陽明学的な公共精神(坊ちゃん&山嵐)が、皮肉にも朱子学的権威主義と結び付いた近代的個人主義(赤シャツ、野だ、狸)によって敗北する明治後期の思想的な問題を風刺した「文学」との評価でも物足りない。
犬ちっく美少女(要脳内変換)の清と別れる事でそのウザったさ開放されようとしたが、共依存の関係であった事に気付き、その愛を受け入れるツンデレな主人公を描いた「萌え系ラノベ」なのである。
繰り返される松山批判は東京と比較にように見えて実は、清のいない松山と清のいる東京との比較であり、清を伴って松山に来たとしたら?と考えて坊ちゃんの行動を眺めるも一興だ。
100年の時を越えた萌えキャラの清にノックアウトされたい人は是非!
強がり者の寂しさ
「人間は好き嫌いで働らくものだ。論法で働らくものじゃない」(本文より)
個人的には、清に長々とした手紙を書こうと思い、あれこれ悩んだ挙句に「手紙は向かん」といって放っぽりだしてしまう坊ちゃんのシーンが好きだ。
坊ちゃんの不器用さと、清への愛情の描写がいい。
この物語の中で要になっているのは、「清」の存在だと思う。
田舎に来て一人ぼっちになり、逆に清の存在の重さを知って、帰っていくその姿。
田舎への赴任はまるで、坊ちゃんの「家出」冒険のようにも見える。
最後の一文は、なんとも切ない。
強がり者の寂しさが、じわりとにじむ読後感。
江戸っ子なんだよね〜、坊ちゃんは!
30年振りくらいに読み返して、
「坊ちゃん」って饒舌で短気で喧嘩っ早い江戸っ子そのものだったんだ、と再発見した、というか思い出したのだ。
爽快な坊ちゃんの言動に時には笑い声まで出てしまった。
赤シャツとか嫌なやつをさんざんとっちめてやって、
赴任先の松山の学校をスパッと辞めて東京に返っていく坊ちゃんに、
「イヨッ!さすが江戸っ子、惚れ惚れするねー!!」と声をかけたくなる。
そして東京では乳母役であった清がまっているだけ。
いつも坊ちゃんを褒め称えてくれた清と、
玄関のない家で二人で暮らすことになるというところで、この物語は終わる。
この気質は漱石のそれでもあり、「我が輩は猫である」ではその饒舌さが思う存分ぶちまけられている。
絶対的孤独を語り始める、漱石晩年の作品のトーンとはまったく違う。
夏目漱石という明治の文豪の初期を知るには格好の書。
あれ、こんな話だっけ
読みだして、あれ、こんな話だったかな、と思った。
読みすすんでも、どうしても違和感が残る。
小学校のころに読んだ印象、あるいはそこかしこでの「坊っちゃん」のイメージとどうしても重ならない。痛快な青春小説という感覚でとらえていたのだ。
そうではない。
どことなく悲しい、寂しい話だと思った。
軽快なテンポの文章にのせて、ひとりぼっちの坊っちゃんが突っ走るのだ。
また読み返そうと思う。
違うことに気がつきそうだ
かの「坊っちゃん」はやはり秀逸なる出来栄えであった。
結末は実にあっけなく、足早に、それでいて実に当たり前の人生の描写で、
何格別の事もなく坊っちゃんのその後が語られるのみである。
そのくせ、セピア色の明治時代の、平々凡々たる人生を真っ直ぐに歩む
彼の姿が浮かぶのである。
癇癪もちで単純で、相手がズルイ将棋を打てば、手持ちの駒を相手の眉間に
押し込むような「坊っちゃん」を、”真っ直ぐで実に良いご気性です”と
ただ一人褒めてくれた乳母代わりの清の晩年のため、玄関は付いていなくとも
一つ家でもって過ごす平和の日々。
清の事を話すのを忘れていた。-
これにて始まる、たかだか11行あまりにのなかに、この物語全体の根底に
流れるといえる暖かさ、それが謎解きされている。
あとがきによれば、その暖かさこそ、この小説の持つテーマと言える寂しさ
と倫理観の敗北のアンチテーゼとして底流れて、この作品を名作としている
のだという。
敗北の末に帰る場所として、盲目的とも言える全幅の信頼を寄せる清の存在は、
坊っちゃんにとって救いの女神であり、
「うちはコンプライアンス(法令順守)は徹底できてるんだろうね?」
などと意味も分からず言ってみて知った風な顔をする、現代の赤シャツに
歯噛みする全ての「坊っちゃん」達の救いでもある。
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